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道の駅 かでな
嘉手納マリーナ
西海岸兼久・東シナ海展望
嘉手納漁港
比謝川緑地自然センター
かでな未来館
比謝川大橋
終了 道の駅
所要時間:約60分~120分
(お客様の要望に合わせ調整可能/10時から予約可能!)
料金:6,100円(税込)~
人数:1~3人
集合・解散場所:道の駅かでな
※ご要望により宿泊先までの送迎も可能です。ただし、送迎代は別途費用がかかります。
01.道の駅かでな について
今年の4月1日に道の駅かでなが、リニューアルオープンいたしました! 老舗店のハンバーガー店など人気のお店があります!また、嘉手納町の観光協会も併設してるので町内の紹介もできます!中庭も新しくなり雨降りも心配なく今後のイベントが楽しみとなりました。すぐ近くにはプロ野球の横浜ベイスターズのキャンプ球場とドーム施設がありますよ。
02.嘉手納町東の入口にある道の駅の目玉!
嘉手納基地について
日本に駐留する在日米軍の数が役3万6000人、その内沖縄に駐留するアメリカ軍は約2万6000人。国土の1%にも満たない沖縄に役7割の米兵が集中している状況で、アメリカ軍族のご家族を合わせたら1つの街が出来るほどの人数になる沖縄県です。身近に基地がありますと基地内の祭りなどイベントが盛んでドルで買い物していた時代がありましたよ! ちなみに嘉手納の面積が15.12平方キロメートル、町民が13.000人前後ここ数年増減状態になります。
日本に駐留する在日米軍の数が役3万6000人、その内沖縄に駐留するアメリカ軍は約2万6000人。国土の1%にも満たない沖縄に役7割の米兵が集中している状況で、アメリカ軍族のご家族を合わせたら1つの街が出来るほどの人数になる沖縄県です。身近に基地がありますと基地内の祭りなどイベントが盛んでドルで買い物していた時代がありましたよ! ちなみに嘉手納の面積が15.12平方キロメートル、町民が13.000人前後ここ数年増減状態になります。
03.嘉手納町西の入口嘉手納マリーナについて
嘉手納基地に隣接する米軍関係者の保養施設で一般人の利用が出来なかったが基地返還に伴い現在宙釣り状態で関係者以外の利用も可能となっています。 海水浴場とシャワー・トイレも完備で磯遊びもできます、施設内にはアメリカンなレストランシーサイドを利用することが出来てアメリカ文化を体験できますよ!最後にチップをお忘れなく。 ちなみに1980年12月マリーナの敷地内で、米軍の排水路の改修工事中貝塚時代の四期のすべての貝塚などが発見され沖縄指定史跡の野国貝塚群と言われ嘉手納町は宝庫地帯と言っても言い過ぎではないそうです。 海が近く、大昔の生活が垣間見える場所ですね!
04.野国総管について
嘉手納町野国の出身で尚寧王時代に首里王府の進貢船の総管役を勤めた人である、総管という役職は事務を管理、航海の安全を祈ったりする事務長の事だと言われ重要な役職となったそうです。沖縄と中国との正式な国交は1373年に始まり1872年まで続いたそうです。台風や干ばつ塩害で作物が実らずあまりの貧しさ飢餓で1605年(慶長10年)に中国福建省福州に渡り甘藷を持ち帰り里の野国で栽培して沖縄で普及して1615年(元和元年)那覇から長崎平戸へと伝わりやがては関東以南へ広がり産業の恩人として県民町民からウム大主としたわれたそうです。
昔はエンジンのない船で風と波と帆任せの航海で沖縄の真西にある福州には6日~7日かけて渡ったそうです。中国へ渡る時は台風の風が吹く真東の風を利用し新暦の9月に渡り、帰りの沖縄へは新暦の7月南西風の風を選んで帰ったそうです。先人たちの知恵と勇気はすごいですね。
05.西海岸の兼久海兵公園近辺について
ウォータースライダーや幼児用・児童用プールを備えたウォーターガーデンやテニスコート、ソフトボール場、総合運動場、体育館、多目的広場など完備、年に一度の嘉手納町祭り会場として、特に自慢は地元沖縄出身のBIGIN主催のうたの日コンサートが開催される会場として知れ渡っています! こんな小さな町ですが子ども・お年寄りをはじめ町民が楽しめる施設と場所があります!ダイビングなど夕方になりますと夕日を見ながらの散歩と会話も良いですよ!
現在面影はないですが戦時中の1945年4月1日米軍の上陸作戦アイスバーグ(氷山の一角)作戦と呼ばれ、この嘉手納町の海岸から上陸が始まりました。 その時の戦力は、戦艦10隻・巡洋艦9隻・駆逐艦23隻など1300隻余りのネーブル嘉手納辺りからマルチメディア近辺は海でした、この地域は戦後埋め立てられましたが、埋め立て前不発弾がゴロゴロ沢山ありましたよ!今でも不発弾の発見があります。 不発弾で遊んだ経験談・台風時の防波堤倒壊などもありますよ!
06.嘉手納漁港について
沖縄県中部に位置する好立地と現在でも避難港としても利用がある港で昔は進貢船が上流の方まで待機していたそうです。沖縄県には1922年3月全線工事が完了した沖縄県営鉄道、通称軽便鉄道と言われていたそうです!県民にはケービンと呼ばれその汽笛は方言で兄貴と呼ぶアフィー・アフィーに聞こえたそうです。港から物資や人を鉄道で運び村も栄えたそうです。
07.嘉手納町の北入り口にある
比謝川と比謝川橋について
島中部を流れる川で流域面積がもっとも大きな河川比謝川、比謝川と言う名を使用した会社名も多数あり近辺では有名な川になります。マングローブが生い茂る河川敷には遊歩道が整備され自然を感じられる場所となります! ぜひ比謝川緑地自然センターへ! 読谷村と嘉手納町を結ぶ幹線道路にある比謝橋がありますが、昔は木橋でしたが石造りに造り変えて戦後米軍により鉄橋に作り変えられ沖縄県によって現在のコンクリート橋になりました。戦争前比謝橋は名所として琉球八景にも選ばれました。女流歌人の吉屋チルーの歌 恨む比謝橋や 情きねんひちゅぬ わん渡さんとぅむてぃ かきてぃうちぇら と、方言で読んでいます。訳すると 恨めしい比謝橋 情けのない人が 私を渡らせるためにかけてくれたのだろう 身売りされる身の哀れさを比謝橋に託して歌ったそうです。 ※碑は比謝橋近くに有り。
08.嘉手納町中心街について
沖縄県南部と北部に行き交うロータリーがある中部の好立地に位置、嘉手納漁港と軽便鉄道通称ケーテツで糸満からの物資と人流で当時賑わった港通り(通称 バー通り)それから道なりに新町通り繁華街を通り抜けロータリーへ。 1979年嘉手納町総合計画が策定され将来像を「ひと 未来かがやく交流のまちかでな」と定め、2008年5月構想のもとにロータリープラザが建設されました!ここには、町民が健康で豊かな生活を育むための文化・教育・福祉サービスの拠点として将来になう人材育成、生涯学習の推進及び高齢者の生きがいや健康増進、子育て支援の充実を図ることを目的に、大ホールや図書館、外語塾、健康増進センター、子育て支援センターなどが設置、町民町民にとってうるおいに満ちた憩いの場所として定期的に催しが開催、隣には防衛施設局を誘致できました。